信楽焼
[ 信楽焼 ]
産地:滋賀県甲賀市信楽町
規模:★★★★★
特徴:粘り気/吸水性がある良質な土
有名:たぬきの置物
日本六古窯のひとつ
信楽焼とは
滋賀県甲賀市信楽町を中心に生産されている焼きもの。
長い歴史と文化に支えられ、この地の伝統的な技術が今日に伝えられ、 日本六古窯のひとつに数えられています。
丘陵からとれる良質の陶土は粘り気のある良質な土が特徴で、成形しやすいことから様々な形状のものが幅広く作られてきました。
粘り気がることから吸水性が高い性質もあります。
中世末期頃より客窯によって壺、甕、擂鉢などの焼き物づくりが始められ、 日本独自の陶磁器産地としての歴史が展開してきました。
食器や器はもちろん、その他にも壺や甕、すり鉢、傘立て、浴槽やタイルなど、時代に合わせて私たちの暮らしを豊かにする道具がつくられてきました。
信楽焼は土の風合いを活かし、釉薬を使わずに素材をそのままに焼き上げる素朴な焼締陶器が多い傾向にあります。
高温でじっくりと焼き上げることで、土に含まれる成分が表面に白い粒となって現れる「石ハゼ」
薪の灰が溶けて発色する「自然釉」
ほのかに赤く発色する「緋色 (ひいろ) 」
など、人の手でコントロールできない「土と火が生み出す美しさ」があります。
その伝統美が多くの人たちに愛され、茶の世界で魅了してきた芸術性があります。
美しいフォルムに隠された伝統美
信楽焼の魅力はなんといっても素朴なまでの土の風合い。
自然の豊かさをそのまま活かした土味のある雰囲気があります。
絵付けのアイテムが少ないため釉薬の種類が多く、大物づくり成形乾燥、焼成技術といった工程においても信楽焼ならではの特徴が息づいています。
自然釉の灰かぶり、焦げなど変幻自在な色調と風合いが魅力です。
「一窯、二土、三細工」といわれ、炎によって生じる緋色のグラデーション。
その素朴な味わいとぬくもりは、長い歳月を超えて人々に愛されてきました。
その伝統を受け継ぎながら、自然そのものの生命感と土との相性。
現代に求められる「遊び」と「癒し」を吹き込み、独自の器観をひとつひとつ表現しています。
丹精込めた陶工たちの手仕事の匠が作り出す、「信楽焼」らしい妙味があります。
日本六古窯のひとつ
信楽焼は日本六古窯のひとつ。
平安〜鎌倉時代にはじまったとされ、長い歴史がある窯元です。
[ 日本六古窯 ]
「信楽焼」「備前焼」「丹波焼」「越前焼」「瀬戸焼」「常滑焼」の6つ
信楽焼の歴史
信楽焼のはじまりは平安〜鎌倉時代 (13世紀頃) にさかのぼります。
鎌倉時代・室町時代
13世紀ごろには、常滑焼の技法の影響を色濃く受けていました。
14世紀になると、信楽焼独自の作風も確立されていくようになります。
壺や鉢など生活で使われるような日用品が盛んにつくられるようになりました。
安土桃山時代
土味を活かした素朴な風合いの信楽焼は、その素朴さや、茶の間の精神性と通じると考えられ、茶人から注目を集めるようになります。
本来の用途とは違うものを茶の湯のもてなしの道具として使う「見立て茶器」として使われるようにもなり、茶道具として高い人気を誇るようになりました。
江戸時代
江戸時代には「登り窯」という窯ができたことにより、いわゆる大量生産ができるようになります。
釉薬を使わない焼締製造が古くからの特徴でしたが、商業の発達にともない釉薬を用いた生産も始まっていきました。
茶壺をはじめ、土鍋、徳利、水甕などの日常雑器が当時の主産品となり、庶民の暮らしを支える多種多様な生活雑器を生産する一大産地となり発展していきました。
[登り窯]
一般的にいわれるものは、窯業で陶磁器等を大量に焼成するために、炉内を各間に仕切り、斜面等地形を利用し重力による燃焼ガスの対流を利用して、炉内の各製品を焼成時に一定に高温に保てるよう工夫された窯の形態のことをいいます。
<登り窯:信楽窯元散策路>
明治時代・昭和時代
明治時代では近代化にともない、工業用品としての鍋や耐酸陶器など新しいアイテムの生産がはじまっていきます。
鉄道の普及にともない汽車土瓶を供給したり、急熱急冷に強いことから人気を得た火鉢は全国シェア1位を誇るようになりました。
また、新しく開発された「なまこ釉」を使った火鉢生産がはじまり、一躍全国の需要をまかなうほどに大きな成長を遂げました。
その他、神仏器や酒器、茶器、灯火具などの小物陶器や壺、火鉢などの大物陶器が生産され、質量ともに大きな発展を遂げました。
たぬきの置物で全国区に
信楽焼がたぬきの置物で知名度を上げたのは1951年(昭和26年)
昭和天皇が信楽に行幸された際に、数多の火鉢とともにたぬきの置物を日の丸の側をもたせて並べて奉迎したことで、とても喜ばれたことをきっかけに
「をさなどき あつめしからになつかしも しがらきやきのたぬきをみれば」
と詠われたことが報道され、信楽のたぬきが全国で有名になっていきました。
高度経済成長により電気や石油暖房器具の開発・普及の中 で、生活水準が向上するなど人々の暮らしが変化し、火鉢の生産数は減少していきます。
そんな火鉢に代わり、伝統技術と職人の智恵が火鉢の技「なまこ釉」を取り入れた植木鉢を誕生させ、 高級盆栽鉢や観葉鉢が生産の主力となり、高い評価を受けるに至りました。
他にも傘立てや建築用のタイルなどの素材など、時代に合わせてアイテムが多様化していきます。
こんなところにも信楽焼
信楽焼は日用品だけではなく、意外なところにも使われています。
1970年に開催された大阪万博のモニュメントの「太陽の塔」
作者である岡本太郎氏が、信楽焼の特性と高い技術に着目し、太陽の塔の背面にある「黒い太陽」のタイルには信楽焼が採用されています。
また、国会議事堂や大塚国際美術館 (徳島県鳴門市) にも採用をさせていたりと、意外なところで信楽焼は活躍しています。
現在の信楽焼
現在では、器や茶陶などの日用品はもちろん、伝統美を表現するために施設や飲食店など和の演出としてインテリアや建築資材として使われたりしています。
時代をこえても変わらずに愛され続けているものを残しながらも、現代らしく私たちの暮らしに寄り添ってくれています。
水甕、種壺、茶壺、茶器、徳利、火鉢、植木鉢、花瓶など大物から小物に至るまで信楽焼独 特の「わび」「さび」を残し、今日に至っています。
信楽焼の製造工程
工程1:陶土
信楽で産出される良質の陶土を、成形できる陶土へ調合します。
さまざまな土の性質を知り、混ぜ合わせたりすることでさらに良質の陶土へと変化します。
掘ったばかりの土では陶器(信楽焼)にはなりません。
かなり大切な作業です。
工程2:土練り
土煉機を使いさらに工程1で出来上がった陶土を練ります。
その時、陶土の種類によっては真空状態にして練る場合もございます。
工程3:成形
陶工たちにより、ロクロ成形や、タタラ成形で商品の形をつくります。
焼成後の出来上がりを思い浮かべながら。。。
その時の土の性質、気温、湿度を加味しながら。。
※陶土は焼き上げると焼き締まります。出来上がり商品より大きめで作ります。
工程4:削り
成形後、ある程度乾燥させ削り作業に入ります。
商品の形を整える作業です。
いろいろな陶土での装飾もこの時に行います。
工程5:乾燥 / 素焼き
成形した陶土をよく乾燥(約2~3日)し、約700~800度程度の温度にて素焼きします。
乾燥が不十分な場合、本焼で商品にひびなど入ってしまいます。
工程6:施釉 / 絵付け
素焼きした素地に、色付け作業です。
エアーガンや、ひしゃく、筆などで釉薬を施します。
職人の腕の見せ所です。
工程7:窯詰め / 焼成
1200度以上の温度で焼成します。
出来上がりを心配しながらの作業です。
さまざまな環境の変化などで、焼き上がりが左右されます。
昔は登り窯などの薪を使った焼成方法が支流でしたが、現代は電気やガスを使う窯で焼成します。
炎が昔と比べて、安定してるのですが、不安と期待の作業です。
工程8:窯出し
24時間以上焼成した商品をいよいよ窯出しです。
窯出し温度は約200度くらい。
まだまだアツアツです。
窯出しされた商品たちは、底や口元などを研磨、検品作業を経て出来上がりです。
割れない様に商品を包み、お使い物は箱にいれ。皆様のお手元にお届けします。
信楽焼の特徴
信楽焼には、他の窯元にはない信楽焼ならではの特徴があります。
それが『粘り気』です。
古琵琶湖層群から採れる焼き物に適した腰と粘りのある土から生まれる信楽焼。
信楽特有の土味を発揮して、登窯、窯窯の焼成によって得られる温かみのある火色 (緋色)の発色と自然釉によるビードロ釉と焦げの味わいに特色づけられ、土と炎が織りなす芸術と して“わびさび”の趣を今に伝えています。
独特のざっくりとした風合いが詫びた景色を生んでいます。
耐火性が高く、大きなものでも壊れることなく焼き上げられるため、手元で使う器から、甕、壺といった貯蔵容器や茶陶、食器や花器、風呂桶など様々な生活の道具に用いられています。
信楽窯元散策路
信楽町には、エリアの山間部に今でもたくさんの窯元さんが集積しています。
それぞれの窯元さんを「信楽窯元散策路」でまわることができます。
窯元さんはもちろんのこと
昔ながらの街並みも残っています。
大量生産が可能になり
信楽焼が全国区になる礎となった「登り窯」
情緒あふれる信楽駅
駅を降りてメインストリートをまっすぐ歩くと
たくさんの窯元さんや信楽焼の地場問屋さんが並んでいます。
見てまわるだけでもおもしろい。
少し歩くと陶器神社もあります。
いいご利益がありそう。